98年9月14日 月曜日 雨

 ホテルで朝食を食べて、翌朝8時07発の列車に乗るのに折り返しの到着を見に早めに駅へ行きました。到着時間が近づくとエアフルト側の跨線橋の手前から「バリバリバリバリ」と独特のエンジン音を響かせてやってきました。
こちらのレールバスは、Ferkeltaxi という愛称が付いています。本来は、赤一色が本当なのですが、新しいドイツ鉄道の明るい塗色に塗り替えられています。この車両も写真を見ていただければ分かるのですが、昔国鉄に走っていたキハ01型にそっくりなのです。無理もありません。当時の日本の国鉄は、このドイツのレールバスをお手本にして制作したのですから。本家の車両がまだ現役で働いていて、まねた方は短命に終わってしまったのは皮肉なものです。
レールバスワイマールにて
 旧東ドイツ地域では、この形の動力車が771型(1960年製)と772型(1964年製)で、トレーラーが972型といいます。未だに現役で各地のローカル線で活躍しています。この塗色変更車は室内も更新されていて、運転台は近代的になっています。仕切が付いてドアもあります。座席は横に2−3人掛けのボックスシートになっています。トイレのある向かい側は座席のないスペースになっていて、自転車やベビーカーを載せることが出来ます。
 ワイマールには、この支線専用のホームはなく本線のホームを使っています。本線の列車が着くのでどうするのか見ていたら、いったん支線に戻って行き、本線の列車が着くと、その後ろにちょこんと停車しました。本線の列車が発車すると、正規の停車位置まで移動してから数人の乗客を乗せて発車しました。
 本線から右にカーブし、下り坂を降りて行く途中にWeimer West があります。引き続き右にカーブすると右手からの線路と合流して町の中心部のWeimer Berkaer Bfに到着しました。平日のみ運転の列車と交換です。しかしレールは行き止まりになっています。
 小学生の遠足の児童を後ろの車両に乗せて、駅員の信号棒の合図で発車すると戻って行くではありませんか。ポイントを左に渡り、今来た道とは違う線路へ入りました。どうやらスイッチバックになっていたようです。今度は、右手に道路と併走しながら丘への勾配を昇って行きます。警報機のない踏切では、やはり最徐行で通過します。
 車掌が検札に来たので、ユーロパスを見せると考え込んでいましたが、「まぁいいか」という感じで返してくれました。たぶんドイツ語の表記が無いユーロパスを読めなかったのではないでしょうか。
 左にカーブして道路と離れると朽ちかけた駅舎のあるNohra に到着しました。もちろん無人駅です。こんどは畑の中を丘の頂上に向かってひたすら昇って行きます。大木の茂る集落に入るとObergrunstedtに停まりました。
 引き続き昇り勾配は続きます。高速道路をくぐって、下り勾配に転じるとHolzdorfです。ここで通常1時間ヘッドの運転の時は列車交換をします。ホームの信号機器を車掌が操作すると発車です。
レールバス交換
 こんどは、林の中の下り勾配を駆け降りて行きます。乗り心地は「すごい」の一言です。リクエストストップなので森の中のLegefeldを通過しました。谷を降りきり、人家が見えてきた所でなぜか複線分に線路が広がり架線柱と金具が数十メートルありました。古い路線図を見ると、この辺りから支線が分かれていたらしいのですが、その名残なのでしょうか?
 Hetschburgに停まると、車掌がホームの信号機器を車掌が操作して発車しました。すると大きな踏切を渡りました。踏切閉鎖の操作だった訳です。  町中にはいるとBad Berka に到着しました。ここは沿線随一の町らしく、駅員も居て乗客が入れ替わりました。
 発車して町を抜けると、谷間の放牧地の中を右手に道路と併走しながら走ります。Munchenに着くと、小学生の団体が降りて行きました。運転士は運転しながら朝食のお弁当を食べ始めました。ということは、オートマチックの自動進段なのでしょうか。
 Tannrodaを出ると町に入り、住宅が多くなってくると、煉瓦作りのとんがり屋根の駅舎のある1面1線しかないKranichfeldに8時53分に到着しました。
レールバス終点
 わずかな折り返し時間に時刻表を写していると、おばさん車掌さんが鞄の中から自分が使っているものらしい時刻表をくれました。言葉は通じませんが何て親切なのでしょう。「ダンケ シェー」(ありがとう)です。
 そして、ホームのゴミ箱にゆで卵の殻を捨てながらむいていた運転士さんに記念撮影をお願いすると、ゆで卵をくわえたまま快くシャッターを押してくれました。 折り返し8:59に発車です。買い物か通院なのか、帰りは駅ごとにたくさんの乗客を乗せて9:46にワイマールへ戻りました。
 10:01発のIC655でライブチヒヘ。しかし、列車は20分もの遅れでやってきました。ライブチヒには、15分遅れの11:30に到着です。しかし、この先も列車の遅れに悩まされることになるとは。トホホホホ。
ライプチヒにてローカル
 11:37発のケムニッツ行きは、延々と続く迷路のような通路をたどると、広大なライプチヒ中央駅の非電化の一番右端27番線から発車します。このホームには屋根がありません。ディーゼル機関車が3両の近郊型客車を後押しします。定刻に発車すると右手の機関区に先ほど乗車したレールバスが休んでいます。こちらは綺麗なので現役のようです。
 隣の複線を先ほど乗車したインターシティーが追い上げてきました。しばらく併走すると、分岐点でお別れです。こちらは、電信線が張られたローカル線を進みます。支線と合流するNarsdfに到着するとエンジンを止め、動かなくなりました。接続なのでしょうか。
 しばらくすると、凸型のディーゼル機関車が1両の客車を引いて駅舎の向こう側の支線ホームへ到着して、数人のお客が下車しました。しかし、発車どころかエンジンが依然掛かりません。そうこうしているうちに20分位経ったでしょうか踏切が鳴り出しました。対向列車が到着です。そしてやっとエンジンを掛けて発車しました。
高架橋から
 このローカル線に乗車した目的はこの先にあります。昨年この辺のローカル線に乗車したときに川沿いの谷間を走っていると頭上に石積みのばかばかしいくらいに高くて大きい橋梁が谷をまたいでいるのを見上げました。その橋梁を渡ってみようと言うのです。だんだん周りの見晴らしが良くなってきました。そして、ブレーキを掛けて最徐行で動き始めると突然視界が開けました。まるで飛んでいるようです。これはサービス徐行ではなく、速度制限標には5q/hの表示があります。この重いディーゼル機関車が高速で走り抜けると倒壊してしまうのでしょうか。そのくらい古めかしい橋です。眼下には川と去年乗車した路線のレールが見えます。
 橋を渡り終えても徐行は続きます。複線分の片側を保線工事をしているからでした。この工事は、終着ケムニッツまで行っていて、さっきの対向列車の遅れは、これが原因のようです。30分遅れの13:32に到着しました。予定の乗り継ぎ列車は出ていってしまったようです。しかしこの先も無ダイヤ状態でした。
 駅のスタンドでソーセージと丸パンにビールの昼食を取り、10分遅れらしい14:14発のドレスデン方面行きの列車に乗車。一等車の連結が無く、赤く塗り替えられてはいますが、すべて旧式のコンパートメントです。丘陵が続き、丘の裾を巻くように緩やかなカーブを右に左に繰り返します。思い出したように街があり、ふっと居眠りをして気づいてみると渓谷を走っていました。複線電化路線ですが、保線工事のため、ほとんどの区間で単線運転になっています。これで列車が遅れているわけです。
 Sバーンの折り返すTharandtを通過すると谷が広がり、右手からナローゲージが近づいて併走します。やがて下へくぐって行くと築堤上のFreital Hainsebrgを通過します。左側の地平には、機関庫や客車が停まっていてSLからは煙が上がっています。
 地平に降りて停車した次の駅フライタールに15:29に到着しました。ナローSLの支線が分岐するハインズベルグへ1駅2階建て客車をプッシュプルで運転する15:32発のSバーンで戻ります。
 ホームで待っていると、日本人らしいおじさんが話し掛けてくるではありませんか。「あなたもナローSL追いかけているの?」「そうです。廃止の危機が伝えられていたのですが、ちゃんと動いているようですね。」と答えると「市が買い取ったみたいだよ。」と教えてくれました。
フライタールの機関庫
 Freital Hainsebrgに15:34に到着。目的のSL列車の発車は16:31です。この列車で終点まで行って帰ってくると20時になってしまうので、ここで今のうちに宿の確保をしておくことにしました。しかし、駅前へ出てみても道路沿いに家はあるのですが、宿らしきものが見あたりません。どうしようと駅へ戻ってみると入口の駅舎内のバーの看板に『Zimmer』の文字があるではないですか。これは、もしかして「部屋あります」と書いてあるのでは、と感じてバーの扉を開いて中へ入り、6カ国語会話集を見せて交渉です。
 結果は夕食をここで食べるという条件付きで一泊朝食付きバス・トイレ共同の部屋がなんと45DM(3600円)なのです。そして部屋へ案内されるとテレビもあり、結構綺麗で、何よりも広いのです。窓の外には、SLは見えないものの本線のホームが目の前です。
フライタールを発車
 荷物を置いて16:04の列車の到着を撮影します。さっきのおじさんはデジカメで熱心に撮影しています。6両の編成で到着しましたが、機回しのついでに3両を切り離して、入れ替えをしてから機関車が先頭に付きました。
 ドレスデンに泊まるというおじさんとはここでお別れです。明日朝のツイッタウのSL列車に乗るとのことでした。スチーム暖房の蒸気が辺りに漂っています。そして、石炭の香りも。 明るい緑色一色に塗られた客車を牽引して発車すると、すぐ本線の築堤の下をくぐります。そこで、標準軌の引き込み線と平面クロスをします。勾配を昇って本線と同レベルで川を渡り、すぐ左にカーブして街の中へ入って行きます。この間に検札がありました。第三セクターだと聞いていたのですが、ユーロパスを見せるとOKでした。それもそのはずです。車掌はDBの人でした。運行を委託しているだけなのかな?
 大きなショッピングセンターの脇の停留所に停まると数人の乗降がありました。そこで、ホームに警察官が立っていて、降車客を一人一人呼び止めています。何をしているのかなと覗いていると、何と無札乗車の取り締まりをしているのでした。一人の女性が捕まったようで、パトカーへ連れて行かれました。
 この先はいきなり、山の中へ入って行きます。細い渓谷沿いにドラフト音が高まり、急勾配を上がっている様子です。周りは鬱蒼とした森で薄暗いです。何回も流れを渡り、右に左に急カーブを描いて行きます。
 谷が広がったところで交換設備のある駅に停まりました。回りには、一軒のレストランにホテルがあります。しかし、ここまでの間平行道路は見かけませんでした。  再び発車して少し広がった谷を遡って行きます。木々が無くなって高原のように視界が開けると右側に湖が見えてきます。そして、湖に沿って汽車は走ります。
 湖が終わると街に入り、ホーム屋根の木の骨組みだけ残るDippoldiswaldeに17:15に到着しました。乗っていた乗客がみんな降りて行くではないですか、そして機関車が切り離され、給水所へ向かって行きます。子供連れの女性が、子供に言い聞かせるように降りて行くのです。「もしかして代行バス?」車掌に「Kurort Kipsdorf プス?」確認すると「ヤー」との返事。バスに乗っても仕方がないので、交換の列車で引き返すことにしました。後日インターネットのホームページで調べてみるとこの先の有名な町中の石造りのアーチ橋など、道床とレールの交換をしているそうで、今年の年末でもまだ運行を休止しています。写真も載っていて、アーチ橋は補強工事をしています。(現在は運行を再開しています。)
途中駅でうち切り
 下りは、軽やかに下って行きます。18:04にFreital Hainsebrgに戻ってきました。すぐにチェックインをして駅舎ホテルへ。明日の朝6:30過ぎにチェックアウトをしたいと会話集を見せると、なんと朝食も用意しましょうと言ってくれました。宿泊費は前払いで、お釣りは朝渡すという預かり金システムです。(メモ紙に預り証を書いてくれ、宿のスタンプを押したものをくれました。)  すぐ食事を取りにバーへ。メニューは豊富で、レストランと変わりません。適当に指さしたものと、ビールを頼むとミートローフに酢漬け野菜の盛り合わせが出てきました。前菜のようですが、パンを食べるとお腹一杯になってしまいました。ビールは大ジョッキだし。会計をすると15DM(1200円)でした。 風呂へ入って、みんなへの手紙を書いて寝ました。なんと、この値段で部屋にミネラルウオーターの小瓶が置いてあるのには感心しました。
9月15日へつづく
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